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コメント

mami

亡くなった人が迎えるはずだった誕生日は、
遺された人が思うことによってだけ存在できるんだよね。
亡くなった後で、過ごすはずだった人生の様々な場面が
存在するというのは、すばらしいこと。
でもそれだけ一層その死が悔やまれるのも事実。
いくら思っても亡くなった人が戻らないのも事実。

それでも今その先輩は、遺された人たちに思われることで、2度目の人生を過ごしてると思います。

Shibuya

>mami

ありがとう。
僕は何だか、亡くなった人のことを思っている自分自身がエゴの固まりな気がして、つまり結局はその亡くなった人には何も伝わらない、伝えようもないことを分っていながらも、なお何かを伝えたいと試みる己の行為に時々嫌悪感を覚えます。

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